青森地方裁判所 昭和34年(行モ)3号 決定 1959年8月29日
申立人 中野潤
被申立人 木造町長
主文
本件申立を却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
理由
申立人代理人は「被申立人が昭和三十四年六月十九日申立人に対してなした申立人の木造町事務吏員の職を免ずる旨の処分は申立人の被申立人に対する青森地方裁判所昭和三十四年(行)第六号事件の判決確定に至るまで、その効力を停止する。申立費用は被申立人の負担とする。」との裁判を求め、その理由として、
一、申立人は、昭和三十年九月一日木造町に事務吏員として就職し厚生課次長に補され、同年十一月民生課長となり、次いで条例の改正に伴う部課制の改廃により厚生課長となつたものである。又、申立人は昭和三十一年七月十四日木造町職員組合の執行委員になり昭和三十二年四月二十七日同組合の執行委員長となり今日に至つたものである。
二、ところが、被申立人は、昭和三十四年六月十九日付を以て、申立人に対し、地方公務員法第二十八条第一項第四号(職制若しくは定数の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合)を理由に申立人の木造町事務吏員の職を免ずるとの辞令を、同日交付した。
三、しかしながら、木造町に於ては部課設置条例及び定数条例の変更はなく、何ら廃職又は過員を生じた事実はないのであるから右免職処分は取消さるべきである。
すなわち、木造町では当初予算において年度内の自然退職等を見込んで多少、少なく給与予算を計上し、その後の成り行きを見てこれを更正することを常としてきたものであつて、年初の予算を以て直ちに予算の減少と目することができないばかりでなく、これに伴う廃職又は過員を生じたものでもない。
のみならず、現町長伊藤藤吉は去る昭和三十四年四月三十日行われた木造町町長選挙において、前町長の成田幸男候補を破つて当選したものであるが、町長に就任するや伊藤藤吉は病気を理由に出勤しないで、代りに同人の顧問団と称する側近者等が町長室につめかけ、木造町の町政を指示するという奇怪な行動に出で、しかも、木造町の支所長等に対し辞職の勧告をするなどの行為に出たので、町職員組合としてはこれを坐視することができず、申立人が同組合を代表して右の者等に対し、「町長が交替する度に首切することを止めよ。」と強硬に申し入れ、他方、同組合の上部団体である自治団体労働組合青森県連合会に応援を求めるべく対策を協議していた矢先、伊藤町長は職員組合の気勢を殺ぎ、併せて自派の者を論功行賞的に町の事務吏員に採用せんとする意図の下に突如として申立人を免職するに至つたものである。このことは、被申立人が申立人を過員整理を理由として免職しながら新たに厚生課長一戸一三、土木課長野呂由道、柴田出張所長岡本倉三郎、館岡出張所長蛯名某、越水出張所長神久丙、出来島出張所長浜山房雄ら伊藤派の者を採用した事実を見ても極めて明瞭である。前記免職理由は全く根拠のない口実にすぎない。そこで、申立人は青森地方裁判所に対して右免職処分取消請求の訴(昭和三十四年(行)第六号)を提起した。
四、申立人は右訴の提起に先立ち、昭和三十四年六月十九日、青森県人事委員会に対し、不利益処分審査請求をしたが、同委員会の従来の例によれば、非常勤の委員による合議制のためかその判定を得るまでに相当長い日時を要するところ、申立人は母(五五年)、妻(二八年)長男(一〇年)長女(八年)次女(四年)次男(二年)の家族を擁し、その生活は専ら木造町事務吏員としての申立人の俸給に依存して来たものであり、且つ、木造町職員組合は組合員百九十八名を擁し、申立人がこれを指導して来たものであるから、早急に右免職処分の効力を停止する旨の裁判を得なければ、申立人は勿論、家族が路頭に迷うことになり、且つ、職員組合が被申立人の弾圧政策により無力化する危険を生じ、申立人に償うことのできない損害を生ずる虞があるので、前記訴を提起し本件申立に及んだものである。
と述べ、疏明資料として、疏甲第一乃至第四号証、第五号証の一・二、第六乃至第十号証を提出した。
被申立人は、本件申立の却下を求め、申立人主張の事実中、第一第二項及び第三項のうち被申立人町長伊藤藤吉が申立人主張の町長選挙において当選したものであること、第四項のうち、申立人の家族が申立人主張のとおりであることは認めるがその余の事実は否認する。申立人は旧川除村の素封家で、以前は広大な田、畑を所有していたが、現在においても、水田九反一畝二歩、畑三反三畝三歩、宅地一、二五七坪五合五勺、及び建坪八八坪の居宅のほか三棟の建物を所有し、保有米を差引き毎年約五〇俵を政府に売り渡しており、部落有数の富農である。申立人一家の生活は右財産から得られる収益に依存しているもので、申立人の事務吏員としての収入は申立人の小遣銭に使用されていたにすぎないから、本件免職処分の執行により償うことのできない著しい損害を生ずる場合には当らない。又木造町役場職員は申立人が職員組合の執行委員長の地位にあるのを不満としていたが、申立人が昭和三十四年六月二十七日及び七月四日に招集した臨時総会は組合員が出席しなかつたため定足数に達しなかつたので成立しなかつた。そこで、同組合執行部はその責任を負つて、申立人は勿論全執行委員が辞任し、同年七月二十五日の臨時総会において、新たに執行委員が選任され正、副執行委員長が互選されたので、その運営には何らの不都合をも感じていない。
以上のとおり意見を述べ、疏明資料として、疏乙第一乃至第十一号証を提出した。
よつて先ず本件申立が適法であるか否かについて考える。
申立人が昭和三十年九月一日以降木造町の事務吏員の職にあつたところ、昭和三十四年六月十九日被申立人によつてその職を免ぜられたこと、そこで申立人は同年七月十六日青森地方裁判所に対し、右免職処分取消請求の訴(昭和三十四年(行)第六号)を提起したことは、いづれも当事者間に争がない。
しかしながら申立人が右訴の提起に先立ち、昭和三十四年六月十九日青森県人事委員会に対し不利益処分審査請求をしたけれども、未だその決定を経ていないことは申立人の自認するところである。そして右決定を待たずに提訴に及んだ理由として申立人の主張するところは、要するに右人事委員会の審査請求に対する決定は請求後三ケ月以内にはこれを期待できないというのであつて、右審査の決定を三ケ月も待つたのでは申立人に著しい損害を生ずるというのではない。しかして申立人が本案訴訟において提出した甲第一号証によれば、申立外藤田実がなした右人事委員会に対する審査請求について同委員会は三ケ月経過後の今日未だその決定をしていないことが認められるけれども、審査の対象となる事案には自ら難易の差があるのであるから、右の一事を以て直ちに申立人の審査請求についても同様の結果になると断ずることは早計である。他には申立人の右主張事実を疏明するに足りる資料はない。
従つて、申立人の右免職処分取消請求の訴は不適法であつて適法な訴の提起を前提とすべき申立人の本件執行停止の申立もまた不適法である。
しかし右本案訴訟については今後の事情によつては右提訴の不適法性が治癒される場合が必ずしもなしとしないとも考えられなくはない(例えば右人事委員会が審査請求受理後三ケ月以内になお審査の決定をしないような場合)ので念のため、本件申立の理由の有無について考察することとする。
疏甲第七号証によれば申立人の家族は申立人の母、妻、子供四人の計六名であることが疏明されるけれども、疏乙第一、第二号証によれば、申立人は水田八反七畝十六歩余、畑五畝十六歩余の外に宅地五十九坪五合五勺余、木造草葺二階建居宅一棟建坪八十八坪ほか三棟の建物を所有し、農業経営により政府に対し、その生産にかかる米を昭和三十二年度には四十七俵、同三十三年度には五十俵をそれぞれ売り渡していることの疏明があるから、申立人主張のような申立人の事務吏員としての俸給による収入がなければ申立人及びその家族の生活に緊急重大な危険を生じ、著しい損害を生ずるものとは考えられない。
又、申立人は、申立人が木造町職員組合の執行委員長の地位になければ、被申立人の弾圧政策に遇つて右職員組合が無力化し、その運営に重大な支障を生ずる旨主張するが、疏甲第十号証によれば昭和三十四年七月十三日当時、申立人の執行委員長の身分が不明確なため被申立人がした職員の解雇を不当としてその処分の撤回運動を推進させるうえにおいて組合の運営に支障を生じたことは認められなくはないけれども、疏乙第四乃至第六号証によれば、申立人は昭和三十四年七月二十三日組合に対し口頭でその執行委員長を辞任する旨申し出たこと、次いで同月二十五日の右職員組合の臨時総会において、新たに執行委員として申立外一戸一三外六名が選任され、同月二十七日右執行委員らの互選により執行委員長として一戸一三、副執行委員長として新岡久治が選任され、それ以来、組合の運営には何らの支障をも生じていないことが一応認められる。そうだとすれば申立人主張の免職処分の効力停止を求める緊急の必要があるものとはいえない。
よつて、申立人の本件申立は結局その理由がないものと認め、申立費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり決定する。
(裁判官 飯沢源助 福田健次 野沢勉)